茶会
絶対神たる龍王が座す龍宮。朱を基調とした壮麗な宮の中でも比較的こじんまりとした部屋に、三柱の神が肩を並べている。
その日は天郷にしては珍しく空に厚い雲がかかり、大気はどことなく湿り気を帯びて濃厚な水の気配が漂っていた。
「……以上、天司からの報告だ。何か言いたいことは?」
静かな部屋に淡々と響くその声は、彼の見た目年齢に反して妙に落ち着き払っている。顔に出そうとはしないが、早くこの場から立ち去りたいのが伝わってくる手短な報告に、私はいつも通り微笑みを返した。
「いいや。今回も特に問題はないようで何よりだ、歴」
一言一句いつも通りの返答に何を思ったのか、目の前の少年――歴はぐっと眉根を寄せた。
「正気か?問題なら大ありだろう。俺が一日職務から離れただけでこの湿気、この天気だ。炎妃のやつはまるで聖霊の扱いに慣れないし、緋海は力の制御に難がある。お前、何を思ってあの二柱を天司にしたんだ」
つらつらと苦言を呈する彼の言葉に、頭上から楽し気な笑い声が降ってくる。
「あはは!ばっかだなぁ歴は!そんなこともわかんない?ほんとに?当はわかるのになぁ」
ゆらゆらと空中に漂いながら、いつものように歴を挑発する神が一柱。
比較的付き合いの良い風龍がこの定期報告会兼茶会を好まないのは、特に彼――影によるところが大きい。
「黙れこの毒虫が。大体お前は碌な仕事もせず遊んでいるだけだろうが。『目』が聞いて呆れるな」
「なになに負け惜しみ?龍王の意図がわからないからって負け惜しみかなぁトカゲくん。いいんだよぉ当が教えてあげても」
「まぁ待て。そこまでにしなさい二人とも。また話が逸れてしまう。」
言い争いを始める彼らを制して、私は改めて歴に向き直った。
「正直に言えば、私は天司の二神・三神に興味がない。天郷の気候制御はお前一人で事足りるからな。そも、あれらの教育はお前の担当だろう?仕事に必要だと思うのならば、お前が自ら育て上げなさい」
私の言葉にさらに眉間のしわを深くした彼は、長い溜息をついて渋々といった様子で肩をすくめた。初めから大方返答の予測がついていたのだろう。特に口論になることもなく、これもまたいつも通りに歴が折れる形で話が終わった。
「影。そちらは何か、報告すべきことはあるか」
「いんやー特に何も!天郷はいつもながら平和でつまらないねぇ。見るべきものなんてありゃしない。ねぇー龍王。君はいつになったら当との誓約を果たす気になるのかなぁ?」
影の大げさな手ぶりに呼応するように、封具から漏れ出た黒いモノがどろりと絡みつく感覚を放置して少しぬるくなった茶を啜る。……さて、これは入れ直さなくてはならないかな。
「誓約の遂行がいつになるかは私にもわからぬよ。……天郷の行く筋は、人が決めるのだから」
毎度お決まりのやり取りに、影はつまらなそうに気の抜けた返事を返した。
「……おい。用事が全て済んだなら俺は仕事に戻るぞ。この鬱陶しい湿気をさっさと飛ばしてしまいたいからな」
「あぁ、少し待ちなさい」
いつもであれば早々に解散となる場面で呼び止められた歴は、訝し気にこちらの様子を窺っている。
何を隠そう、今日は他にも客人を呼んでいるのだ。彼女を迎える前に帰られてはつまらない。
呼び止めた理由を説明することなく茶器をくゆらせていると、気配に敏い歴はこちらの意図に感づいたようで視線が一段と鋭くなった。
「……お前、人の子を呼んだな。東の当主か」
「いかにも」
「んー?あぁ、確かに彼女だ。珍しいねぇ龍王がこの茶会に人を呼ぶだなんて。どんな心境の変化?」
「なに、いつも歴がすぐに帰ってしまうから、茶会が名ばかりになっていると思ってな。私としては報告会より友との茶会を楽しみたいのだ。せっかくなら人数は多いほうがいいと思ったから声をかけてみただけに過ぎんよ」
私の返答を聞いても相変わらずの敵意がこもった視線である。まぁしかし、かつてあれほど人間を嫌った神がここまで人の子を気にかけるというのも微笑ましいことだ。
「……お前、やたら秌凜に絡もうとするな。何のつもりだ」
「さて、気のせいだよ歴。私は彼女に特別興味はない」
「ほう?ならば俺が原因か」
場の空気がピンと張り詰める。微笑みを崩さない私をまっすぐ見据えて、歴は口を開いた。
「この際だからはっきり言っておく。あれは俺の庇護下にある者だ。凜に関わらず、秌家とそれに連なるものは全て我が翼の内にあると思え。……手を出すなら覚悟しておけよ飛龍。全盛期には程遠い身なれど、貴様諸共この島を沈める程度のことはできるぞ」
「あ、人の子もうすぐ着くよー龍王。狐に椅子とお茶追加してもらおっかぁ」
空気を読まない影の発言も意に介さず風神の眼光はこちらを射貫いてくる。
微かに発光する身体とふわりと漂う髪。主の激情に感化され周囲の風聖がざわめく。
……あぁ、これは本気で憤っているな。珍しいことだ。
中々見られない彼の顔色を観察していると、凛とした、それでいてどことなく緊張がにじむ女の声が扉の向こうから投げられた。
客人の到来に軽く舌打ちをすると、歴は腕を組んで振り返る。彼女が扉を開けるころには、先程までの尋常でない様子はすっかり鳴りを潜めていた。
気の置けない会話を交わす神と人を眺めながら、私は一つ笑みをこぼす。
――これはまた、何とも面白いことだ。