物語 小話 『在りし日の清輝』

 在りし日の清輝


林鳥りんちょう、お前ってやつは本当に――』

「……」
 ある日の昼下がり。柔らかな日差しにまどろんでいると、懐かしい友の声を聞いた気がした。
(そうか……そういえばあの日もこんな、清々しいまでの好天だったな)
 当時はあまり快く思っていなかった彼の眩い笑顔が瞼の裏に浮かぶ。いつまでも過去を引きずる自分自身に呆れて口の端が上がるのを感じながら、俺は押し寄せる残像に意識を預けた。

 *

 彼――悧孫護り そんごは、護家南部守護隊ごけなんぶしゅごたいをまとめ上げる悧家りけの御曹司だった。眉目秀麗で文武両道、学生の身でありながら防衛の前線で名を馳せ、さらには名高き封神様の先祖返りとかいうおとぎ話の登場人物のようなとんでもない男だ。平民の中でも最下層出身の俺とは文字通り生きる世界が違う。
 普通なら交わることすらない俺たちは、様々な偶然の巡り合わせで出合った。……まぁ、それが『偶然』ではなかったと知ったのはごく最近のことだがそれは置いておこう。とにかく俺は、彼に認知されるずっと以前から彼のことが苦手だった。だというのに……。
「おーい林鳥ー!」
「……」
 俺は毎回うんざりした顔と態度で接しているというのに、彼はそれをものともせずに笑顔全開で迫ってくる。正直俺は彼のそんなところが苦手だったし、取り巻きにやっかまれるのも厄介この上なくていつも全力で無視を決め込んでいた。無論、俺の足で彼の速度に叶うはずもないのだが。
「よっし捕まえたぞ。そう毎回逃げられるとさすがの俺も堪えるんだがなぁ?まぁそれはそれとして、今日は買い物に付き合ってもらおうか!」
「悧家の御曹司殿にお誘いいただけるとは光栄ですが生憎私は用事がありますので失礼させていただきます」
「そうかそうか!よし行こう!」
「……」
 全くこちらの話を聞かないのは俺が嘘を言っていると分かっているからなのか何なのか。ずるずると引きずられながら俺は毎度お決まりのため息を吐いた。

「あの。孫護殿。もしや買い物というのはこの店ですか」
 連れてこられたのは商家街の奥に佇む立派な衣料品店だった。天郷てんきょうは衣食住の殆どが支給制なため商店に平民が訪れることは多くなく、中でも衣類は貴族の嗜みの代表格と言われている。そんな店に、目の前の男は慣れた様子で入っていった。俺の腕を掴んだままで。
(……眩暈がしそうだ帰りたい……)
 
「来たぞ店主!先日ぶりだな」
「これはこれは悧家の坊ちゃん。お待ちしておりました」
 店の奥から気持ちの良い笑顔で男性が出てきた。彼は孫護と軽く挨拶を交わすと、居心地悪そうに店内を見回している俺へ視線を移す。
「貴方が噂に聞く林鳥さんですね。ようこそお越しくださいました。どうぞごゆっくりなさってくださいな」
「はぁ……どうも」
(噂ってなんだ噂って)
 ぎこちなく挨拶を交わす俺を満足げに眺めると孫護は店主と話し始めた。どうやら今日の目的は修繕依頼を出していた着物の受け取りらしい。部下を使わずわざわざ自分でとりに来るあたりが彼らしいが、何故俺がその用事に付き合わされているのだろうか。
 一礼して着物を取りに向かった店主へ軽く手を上げ応える孫護はまさに貴族の子息といった振る舞いで、ますます自分が場違いに感じた。

「おい林鳥」
「……はい」
「あそこにかかってる着物、どう思う?」
 手持ち無沙汰に佇む俺を気遣ってか、彼は俺の肩をつつくと店の一点を見つめて雑談を投げかけてきた。
「どう……とは。お似合いになると思いますが」
「そうじゃなくてさ。お前、ああいうの好きか?」
 質問の意図を図りかねたが、そう聞かれて適当な回答をするのもはばかられたので改めて視線の先を確認する。そこには朱と金を基調とした見事な意匠の羽織がかかっていた。
「……私の趣味ではありませんが……貴方が着るのなら、今の衣とも近い色合いですからいいんじゃないでしょうか」
「なるほどな!じゃ、あれは?」
 再度視線の先を見る。今度は白に青い模様の衣だ。
「まぁ、悪くはないと思いますけ――」
「じゃあじゃああれは?」
「それはちょっと――」
「なるほどならあっち!」
「いや、だから――」
 孫護は俺の言葉を遮って次々目標を移していく。なぜか彼が指さす度に衣は色も意匠もどんどん彼好みのものから離れていった。
 ……というか、本当に人の話を聞かないなこの男は⁉
「あの――」
「そうか分かったあれだな⁉」
 ぐいっと俺の肩を掴み身を乗り出した彼にそれまで我慢していた何かがブチッと切れた音がした。

「あ゛ーっ!何なんだあんたちょっとは落ち着けないのか人の話を聞け言葉をかぶせるな鬱陶しい!!」

「!」
 ……勢いに任せて一通り口にした直後、自身のとてつもない失言に気づき気絶しそうになった。
 馬鹿か俺は相手は曲がりなりにも南護なんごの次期当主だぞ⁉生意気な態度を取ってどうなるか分かったもんじゃないだろ!
 恐る恐る視線を移せば驚いた顔で立ち尽くす店主と目が合う。サーッと血の気が引くのを感じながら、俺は勢いよく頭を下げた。我がことながらこれ以上ない深さの礼だったと思う。
 次いで謝罪の言葉を口にしようとしたその時、頭上から予想だにしない声が降ってきた。
「……っふはっ!!」
 彼は、笑っていた。この上なく愉快というような笑いだった。
「っははは!おま、お前……あっはははは!」
「なるほどこれはまた随分な……」
 爆笑する孫護の横で店主もなぜか笑みを浮かべている。俺はと言えば想定外の状況に文字通りの阿保面を晒していた。しばらく笑い続けた孫護はむせながらも何とか息を整えると、腰に手を当て胸を張って嬉しそうに俺を見た。
「あー笑った!林鳥、お前ってやつは本当に最高だよ!俺に対してこんな口きくやつもあんな適当な態度とるやつもお前くらいだ本当に」
「……それは、あの……本当に申し訳ないと思って……」
「いやいいんだよお前はそれで。むしろそうじゃなきゃ俺が困る」
 そう言うと彼は控えていた店主を振り返った。
「……さて、どうだ店主。こいつはあんたのお眼鏡にかなったか」
「えぇ、そうですねぇ。是非お引き受けいたしますよ。ただし、林鳥さんがご自身の意思で受け取ってくださるなら、ですからね」
「わーかってるって!」
 なんだかよくわからない会話が俺を置き去りにして繰り広げられている。どうも俺に関係のある話のようだが、やらかした直後という状況で二人の会話に割って入れるほど俺の神経は焼き切れていない。変な汗が背中に伝うのを黙って感じていると、唐突によく通る声が俺の名を呼んだ。
「てわけで林鳥!お前将来俺の右腕な」
「…………はい??」
 何を言っているんだこの男は?
「だから、お前学舎を卒業したら南護に来い。で、俺の部下になれ。」
 何を言っているんだこの男は。
「……俺、武官塔じゃなくて文官塔の学生なんですけど」
 予測不可能な謎状況だったが俺の頭は妙に冷静でそんな事実をぶつけていた。人は行き過ぎた混乱を通り過ぎるとむしろ冷静になるのかもしれない。
「お前まさか南護に武官しかいないと思ってる?当然文官の仕事もあるから安心しろよ。なんなら俺の書類仕事もやっていいぞ」
「何言ってるんですか??」
「実はさ、今日はお前の衣を見立ててやろうと思って連れてきたんだよ。以前相談した時に店主が、『この店は貴族御用達だから本人を見て依頼を受けるか決めたい』って言うんでな。で、たった今依頼が受諾されたところってことだ」
 全く話が繋がっていない。
 俺は今、今日の目的を聞いていたんだっけか?違うだろ違うよな。そもそも南護に来いってどういう意味だ俺って卒業したら統轄府とうかつふのどこか適当な庁局で文官になるはずだろ違うの??この男の右腕とか普通に嫌なんだが明らかに平穏に暮らせない立場だろそれ。
 頭上に大量の疑問符を浮かべている俺には目もくれず目の前の男はまだ何か言っている。大事なことを言っている気がするが既に頭の許容量を超えていて何も話が入ってこない。
 そんな俺を見かねて店主が口を開いた。
「まぁまぁ坊ちゃん。いきなりそんな脈絡もなく告げられたら誰だって困りますでしょう。今日のところはこれくらいにして、きちんと考える時間を差し上げたらいかがです」
「ん?あぁ、それは確かにそうか……。悪いな突然こんな話して!お前を諦めるつもりはないがゆっくり考えてもらって構わないぞ」
 それって考えたところで俺に拒否権ないやつじゃないのか。
 などと咄嗟に突っ込みそうになった言葉を飲み込んで思わず頭を抱えた。……これは、諦めさせるには骨が折れるぞ。

 ぐるぐると巡る思考に周りの状況を把握している余裕もなく、気づけば俺は孫護と共に帰路についていた。彼は大事そうに修繕の終わった衣を抱えている。
「大丈夫か?顔色悪くないかお前」
 言いながら彼はこちらを覗き込んでくる。色々言いたいことはあったがとりあえず以前から気になっていたことを聞いてみることにした。
「……どうしてそんなに俺に構うんですか。俺は混血ですけど貴方と違って体が弱いし、第一平民だ。貴方が俺を気に掛ける理由がずっとわからないんですが」
「うーん……多分、お前は一つ勘違いしてるな」
 そう言って彼は夕日を背に俺の目を見据えた。
「いいか?俺は特別だ。で、お前も特別なんだよ林鳥。お前はその自覚がないだろうが、俺にとってお前は無二の存在なのさ。何せお前は……俺の、『理性』だからな」
「理性……?一体何の話をしているんです」
「今はわからなくてもいつか分かるときがくる。そうだなー……まぁ何十年か後、俺が死んだときにはわかるだろ!」
 そう言って彼は日の光の中でも眩まないほどの笑顔を浮かべた。それはとても清らかで眩くて、彼の俺に対する絶対の信頼を感じさせる笑顔だった――。

 *

「りーんーちょー!」
 自分を呼ぶ声と柔らかく落ちる影にまどろみから引き上げられる。
 鮮やかな紅が日光に反射して輝く様が朝露に濡れたザクロの実のようだな、などと寝起きの頭で考えていると小さい手が両の頬を挟んできた。
「なんか、いいことでもあったみたいな顔してる。夢見てたの?」
「……そうだな。久しぶりに、あいつに会えたよ」
「そう。ふふ、よかったねぇ林鳥!」
 ぱっとはじける少女の笑みに夢の男の顔が重なった。あぁ、やっぱりどこかこの二人は似ている。
「なぁ、乱華らんか。俺は……俺はきっと、お前と彼女の約束を叶えてやるからな」
 その言葉に彼女は嬉しそうに、けれどどこか悲しそうに微笑んで俺の頭をくしゃっと撫でた。