物語 小話 『特別な服』

 特別な服


「またまたご冗談を」
「だから冗談とかじゃなくって!」
「……」

 先程から目の前で繰り広げられる舌戦に私はどうしたものかと苦笑した。
 多忙を極める護家ごけ秌家しゅうけの当主二人がなぜこのような状態になっているかと言えば、事の発端は今朝まで遡る。
 
 花の香りが柔らかく漂う春朝。何の前触れもなく満面の笑みを浮かべた凜様が困り顔の白狐びゃっこ様を伴って護家邸宅にある私の部屋へ乗り込んできた。虚を衝かれた私は目を白黒させながらも訳を尋ねるが肝心の彼女はこちらの動揺など我関せず。気づけば凜様ご自慢の秌家邸宅衣裳部屋へ連れ込まれ、あれよあれよという間にこの何とも華やかな衣へ着替えさせられていたのである。
 初めて目にする形のその服はさらりとした布地でとても着心地がよく、繊細な柄と装飾がいたるところに施されていてとても愛らしい。
 一瞬状況を忘れそうになるほどの品からなんとか意識を引き戻して改めて奇行の理由を尋ねれば、凜様は柔らかく微笑んで『今日はあなたが生まれた日だもの。とっておきのものを送りたくなったの』と私の頭をふわりと撫でた。
 生まれた日を祝われるというのは初めてのことで驚いたけれど、多忙なこの人が私のために時間を作ってくれたことが本当に嬉しかった。
 その後『せっかくだから』と暘俊ようしゅんが呼び出され、久方ぶりに身内だけの和気あいあいとした時間になるかと期待したのだけど……。
『ふむ。この衣装を着られるのは秌家の敷地でのみ、ですか……。なるほど。ではその権利言い値で買い取りましょう』
 この暘俊の発言がきっかけとなり、今に至る。

「そも、なぜ『秌家内部でのみ着用可』などという不可思議な制約がついているんです?贈り物なんでしょうこれ」
 顎に手を当てじっとりと凜様を覗き込む暘俊。たじろく凜様。二人には悪いが、あまり見られない光景になんだか得をしているような気分だ。
「た、確かに贈り物ではあるけれど……見ればわかるでしょう?この衣装は龍王様から許可を頂いていない人界じんかいのものなの。さすがにそれを市井に持ち出すわけにはいかないでしょ」
「ですがそれもかつての話。先の一件により人界との繋がりは絶たれ龍王様が全ての法を手放された今、気にすることではないのでは?」
 暘俊の言う通り、先日天郷てんきょうの行く末を巡る調停者との騒動は幕を閉じ、龍王様を頂点としたこれまでの管理体系は変革を迎えた。民と神々が穏やかに日々を送る日常は変わらずに、けれどそれまで以上の自由が許されている。以前までは禁とされていた人界の情報が規制されることも、今はない。
「それはそうだけど……。でも、突然知らないものを持ち出されたらみんな動揺するでしょう?その動揺が良いものであれ悪いものであれ、心を乱すものを必要以上に持ち込む必要はないと思うのよ。第一、私が許してもそこの頭のかたーい狐が許さないわ!」
 壁際に控えていた白狐様をビシッと指さす凜様は実に渋い顔をしていて、お目付け役としての白狐様の優秀さを物語っていた。その彼はと言えば、壁際でブンブンと何度もうなずいている。
 
「まぁ、言いたいことはわかりますが……。というか、そもそも凜様はそのように珍しい品をどこで入手されたんです?まさか事前に人界から取り寄せていたわけではないでしょう」
 暘俊の問いかけに凜様はニヤリと口角を上げた。
「ふふんよくぞ聞いてくれたわ!聞いて驚きなさい、なんと『あの』糸反したん様が仕立ててくださったのよ!」
「な?!それは本当ですか?それこそ冗談では……?!」
 過剰に驚く暘俊と得意げに胸を反らす凜様。
 けれど私はその名前に覚えがなかった。不思議に思って尋ねれば、暘俊が苦笑いを浮かべつつ答えてくれる。
「あぁ、麗青れいしょうが知らないのも無理はないよ。糸反様は縫製を得意とされる神で、天郷の衣類製造の大部分を担う糸歌庁しかちょうで手腕を振るわれてきた方だ。が、その……まじめすぎるというか何というか」
「あの方は神々の中でも特に龍王様に対しての忠義が厚い方だから、龍王様の命以外でお力を振るわれるのを嫌うのよ」
 二人は困ったように顔を見合わせて肩をすくめている。つまり、この二人を困らせるほどに頑固な方ということ……?!
「そ、そんな方がどうして私なんかのために……」
 あまりの恐れ多さと一抹の不安に血の気が引いた私の眉間を暘俊がトンと小突いた。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。あの方は頑固なだけで意地悪なわけじゃない」
「そうそう、安心して麗青。実は今回こうして衣装を仕立ててくれたのはね、私が彼女に相談したからなのよ。『子供に品を贈るなら何がいいと思いますか』って。糸反様もかつての天郷に思うところがあったみたいだし、『気持ちを切り替えるいい機会だから』って着用場所の条件付きで仕立ててくださったの」
 凜様の説明に私はホッと息をついた。どうも本当に善意でのことらしい。今度お会いすることがあればお礼を伝えようと心に決めた。
 そんな私の隣で暘俊は難しい顔をして何やら考え込んでいる。
 
「しかし糸反様が関わっておられるとなると困りましたね」
「何がよ」
「何って、言ったでしょう『買い取る』って」
「貴方って子はまだそんなこと言ってるの……」
 引き下がるつもりが毛頭ない様子の暘俊にさすがの凜様も呆れ顔である。眉間にしわを寄せて額を抑える仕草はどことなく歴様を彷彿とさせた。
 でも確かに、ここまでしてくださった神様との約束を破ってまで護家に持ち帰るものでもない気がする。条件付きとはいえ秌家へ遊びに来ればいつでも着られるのだし……と、言うより。
「どうして暘俊はそんなに拘るの?」
 ずっと不思議に思っていた私の問いかけに、彼は至極当然と言った顔で答えた。
 
「無論、その服を着たお前を他の誰にも見せたくないからだよ」
 
 ……爆弾発言、というのはこういうことをいうのだろうか。予想だにしなかった回答に頭が真っ白になった。そんな私の心を知ってか知らずか暘俊の手がさらりと私の髪を掬う。
「うん、本当によく似合ってる。普段の服装もいいが、こういう華やかな服もいい。色合いは普段とあまり変わりないのに特別愛らしく感じるな。あと普段より露出が少なめなのもいい。」
「え、あの」
「麗青は柔らかい髪をしているから髪飾りは金属製より布製の方が似合うと思っていたんだ。その髪型もよく似あっている。きっと髪を結ばずにおくのも似合うだろうから今度是非見せてくれ」
 私の髪を弄りながら優し気に目を細める彼の言葉に、私は言葉が出てこず口をパクパクとさせていた。助けを求めて視線を移せば、凜様は『あらまぁ』と珍しいものを見るように頬に手を添えている。これは、助けは期待できそうにない。

 その間も雨あられのごとく降り注ぐ賞賛に耐え切れずついには顔を覆うと、言葉の代わりに実に楽しそうな笑い声が降ってきた。
「ふはっ!麗青お前、顔が果実の様だぞ。これくらいの事でそんなに照れるな」
「む、無理……うぅ恥ずかしい」
「まーいちゃついちゃって。楽しそうで何よりだけれどあまり二人の世界に入らないで頂けますー?」
「それは無理な話ですね。何せここのところ目が回るほど忙しくて、麗青とゆっくりできる時間なんて久しぶりなんですから」
 髪を手放したかと思えば次は頬をぷにぷにつついてくる暘俊にされるがままの私。そんな私たちを若干呆れ顔で眺めながら凜様はやれやれといった様子で口を開いた。
「それにしても、暘俊は随分素直になったわね。この間までずーっと眉間にしわ作って何やら考え込んだり空回りしたりしていたのに、まるで別人のようだわ」
「そうですね。多少欲を出した方が健康に良いと分かりましたので」
 完全に開き直っている暘俊に凜様が肩をすくめたところで、白狐様から声がかかった。
 
「ご歓談中のところ申し訳ありません。暘俊ようしゅん様、そろそろお仕事に戻られませんと黒狐こっこが書類に埋まってしまいますぞ」
 白狐びゃっこ様の呼びかけにぐぬぬ、と天を仰ぐ暘俊。
 なおも後ろ髪を引かれる様子に、凜様が降参とばかりに両手を上げた。
「んもう、仕方ないから今回はこちらが折れるわ!衣装は帰りに麗青れいしょうに持たせてあげるから、今は仕事に戻りなさい。糸反したん様へも私から話を通してあげます。ただし、また後程時間をとってめいっぱい愛でてあげること!よくって?」
「凜様……!もちろんです、感謝します。糸反様へは私からも後ほどお礼に伺いますとお伝えください」
 凜様の申し出にパッと顔を輝かせた暘俊は、一言そう残して慌てて仕事へ戻っていった。本当に仕事、忙しいんだな。
「さて、そういうことだから私も糸歌庁しかちょうへ向かわないと。麗青、一人で着替えて戻れるかしら?」
「はい、もちろんです!凜様、今日は本当にありがとうございました」
 改めて礼を伝えれば、彼女は優しく笑って『よかったわね』と私の頭を撫でた。