祝い
「みてみて林鳥!この黄色くて四角くてふわふわしたやつ、『カステラ』っていうんだって!」
柔らかい陽光が空気を包む昼下がり、護家邸宅別棟、通称「龍の館」には、厳かな雰囲気とはまるで不釣り合いな少女の声が響いている。
乱華のこんな声を聞いたのはいつぶりだろうか。彼女の笑顔につい口角が緩むが、場所が場所だ。じんわりと胸の内に広がる温かさを抑え込んで、平静な自分を手繰り寄せた。
「わかったからちょっと落ち着け。あまり騒ぐと見つかるぞ」
甘味につられて前に乗り出そうとする小さな頭を片手で制して諭す。いくら龍王が市政に無関心といえど、この地にいる限り奴の目はどこにでも届くのだ。結界内と言えども用心に越したことはない。
それにしても、と傍らの少女を見やる。乱華は相変わらずキラキラした瞳で『カステラ』とやらを見つめていた。
「……お前、そんなに菓子が好きだったか?」
「ん?うん。甘いものは好きだよ。でも今日はそれだけじゃないっていうか……」
「?」
意図を掴みかねていると、乱華ははにかんで言った。
「これはね、君への贈り物なの」
予想外の言葉だった。
贈り物?今日は何か、特別な日だっただろうか。記憶の海をたどっても答えには一向にたどり着かない。
俺が頭を悩ませていると、隣から形容しがたい気の抜けた笑い声が漏れた。
「眉間、またしわできてる」
「誰のせいだと……」
「なはは、それもそうだ。ごめん。このお菓子はね、暘俊にお願いして用意してもらったの。なんでもね、人界には生まれた日を祝う風習があるんだって!そういうの、すごくいいなぁと思って」
乱華は実に楽しそうに、笑顔を全開にして言った。
「だから、お誕生日おめでとう、林鳥!」
「……そうか。そういえば確かに、今日は俺の誕生日だったな。……いや、うん。ありがとう。嬉しいよ」
「……んー?何か歯切れが悪くない?甘いもの、苦手だった?それともまさか、照れてるのかなぁ~」
悪戯っぽくこちらの顔を覗き込んでくる乱華を押しやる。まったく、こういう時すぐ揶揄おうとしてくるのはこいつの悪い癖だ。
「そんなんじゃないからよせ。……本当に、そうじゃないんだ。甘いものは嫌いじゃないし、お前の気持ちも嬉しいよ。ただ俺たちは……いつも、生まれてきたことを呪っていただろう。自分なんかいなければ、と何度考えたか知れない。……そんな俺たちが、生まれた日を祝うっていうのが、何か……不思議な感じがしたんだ」
「あぁ、そっか。……うん、そうだね。でもやっぱりあたしは君が生まれてきてくれたこと、今こうして生きていてくれることが何より嬉しい。それに君は、あたしの特別だもん。今日も、来年も、ずーっと先の未来も、こうやって祝わせてほしいな」
……『来年も、ずっと先の未来も』、か。
こんなに希望にあふれた約束をするのは初めてだった。明日の無事すら不透明な今、未来を描くその約束はとても儚く脆い。
けれど、きっと過去のしがらみを断ち切るための道しるべになると、根拠もなく希望を託せるほどに、眩しく温かかった。
「ありがとう、乱華。来年も再来年も、ずっとこうして祝ってくれ。そして俺にも、お前の誕生日を祝わせてほしい。お前だけでなく、麗青や封聖、暘俊、みんなの誕生日を祝おう。約束だ」
「うん!約束!」
……こんな些細な約束を結んだところで、俺がしたことは何も変わらないし、俺はこれからもずっと自分自身が嫌いなままなのだろう。それでも、俺の言葉に花が咲くように笑顔をほころばせる彼女を、彼女が『特別』だと言ってくれた俺自身を、そして温かいこの約束を守り通そうと、俺は密かに誓ったのだった。